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正覚院

【正覚院】 東京都練馬区豊玉南2丁目15-2

 真言宗豊山派で、多摩郡宝仙寺(東京都中野区中央2-33-3)の末寺で、天満山観音寺と称する。本山は長谷寺(奈良県桜井市初瀬731-1)で、豊島88ヵ所第7番札所である。本尊に不動明王を安置している。
 寺伝では太田道灌が長禄年間(1457~60)に江戸城を築城した際、中新井の陣屋にあった道灌尊崇の天満宮を守るため別当寺として当院を創建し、外堀にあたる市ヶ谷の一農家を立ち退かしめて開基檀徒としたと伝えられている。隣の氷川神社では境内社の天満宮(北野神社)が最も古いという伝承もこのことを伺わせる。山号の天満山は天満宮に因んでいる。
 確かなところでは過去帳の寛永5年(1628)に開山宥慶とある。『新編武蔵風土記稿』によれば中興の開山は契衷和尚といい宝暦元年(1751)10月25日に寂したとある。寛永(1624~1643)以前の作と言われる涅槃像画も現存する。
 明治の廃仏毀釈、無住、火災とつづいたため寺の什宝も烏有に帰したが、明治6年(1873)に中新井村の酒井度右衛門が当寺で留守居をしながら家塾を開き、地域との結びつきを強くした。明治10年(1877)ごろに篤信者たちによって復興され、成田不動尊を勧請し、不動講を組織した。
 墓地は土地区画整理に伴い、それまで畑の中や路傍にあった個人墓を集めたものが多い。そのためか神道系の墓や宗派の異なる墓が隣りあっているのが特徴である。
 同寺には八子地蔵(丸彫、昭和13年(1938)12月24日)がある。かつて里子に預かった赤ん坊を殺して養育料をだまし取っていた悪人がいたので、幼い命を絶たれた8人の子供の菩提を弔って建立された。
 その他、寺院境内には不動講の不動石像、豊玉南3-10東あたりにあった水垢離場から移されたといわれる不動像、豊玉中3-16からの通称三の橋庚申の初代の石塔(同所には現在新しいものが建っている)、六地蔵、馬頭観音などの石造物が安置されている。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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