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保谷と田無・5

 天保期(1830~44)になると「古郷田無」という言葉を含む史料が現れる。『公用分例略記』『高井戸宿助郷免除訴状』などだが、いずれも天保期に、助郷との関連の中で「御用のために青梅街道沿いに移住してまで継立てを勤めてきたのに衰弱困窮の憂き目にあっている田無村」を印象づける文脈のなかで出てくる共通性をもつ。素直に文脈を追うと古郷・本村という言葉はもといた横山街道の近く「1里(約4km)ほど相隔上保谷村の北」を指すが現在の新座市域に入ってしまい、とても「村続き」とは言えない。「1里ほど」は象徴的表現ともとれるし、上保谷村内の北部の中心的集落(『保谷市誌』によれば上宿)の北と考えれば谷戸地域を指すと考えても不自然ではない。
 谷戸地域でよく利用されていた道は旧道の谷戸街道である。谷戸街道は現在ひばりヶ丘へ抜けるバス通り(谷戸新道)の東側に、やや並行に南北へ走る。現在も2間幅の道で裏道に思われるが、戦前までは谷戸街道が谷戸地区の人たちに最もよく利用されていた。谷戸の旧家や西光寺・尉殿神社・熊野社などの古い寺社もこの道に沿ってあった。田無の町場へ買い物に行くにも谷戸街道を通り、田無神社の裏手になる湯沢屋石材店の所に出るのが通常の買い物道だった。一方、現在のバス通りである谷戸新道はかつては林の細道で、追いはぎが出て金品を奪われることがよくあり、男でも夜は滅多に通らなかった。谷戸から東部の住吉町にかけては森林が広がり、昭和10年代(1935~1944)までは狩猟(鳥撃ち)も時折行われていた。竹林に入って竹を揺すり、鳥を追いだしたところを猟銃で撃った。
 横山道沿いの東禅寺には西東京市指定文化財の六地蔵菩薩立像がある。基段の銘文によると、万延元年(1860)に上宿・山合・三軒屋・又六各字の岩崎・下田・保谷・貫井・都築・名古屋氏など東禅寺の檀信徒の戸主たちが念仏講を結集して六地蔵を造立した。
 明治元年(1868)の廃藩置県により保谷は新倉郡広沢庄野方領から品川県となり、明治4年(1871)に入間県、明治6年(1873)には熊谷県、明治9年(1876)には埼玉県に属した。明治19年(1886)には上保谷新田・上保谷・下保谷・小榑・橋戸の5ヵ村で連合村をつくった。
 明治12年(1879)6月18日に田無村は田無町と改称された。前年の地方制度改革とこの時期の田無の急速な発展を反映したものだった。
 明治22年(1889)に町村制が施行されると連合村をとき、上保谷新田・上保谷・下保谷の3ヵ村が合併して保谷村となった。明治29年(1896)3月29日に新座郡の北足立郡への編入に伴い、所属郡が北足立郡となった。明治40年(1907)には保谷村は埼玉県から東京府北多摩郡に編入された。人口は3,405人(450世帯)だった。
 大正5年(1915)4月15日に武蔵野鉄道武蔵野線(現・西武鉄道池袋線)が開通して保谷駅が開業し、大正14年(1924)6月11日には田無町駅(現・ひばりが丘駅)が開業した。その後は飼料のために東京市内の糞尿を鉄道で運び入れ、野菜などの作物を出荷する近郊農業が中心となった。昭和2年(1927)4月19日には西武鉄道村山線(現・西武新宿線)も開通し、上保谷駅(現・東伏見駅)、西武やぎさわ柳沢駅が開業した。
 昭和14 年(1939)ごろには保谷周辺に中島飛行機株式会社をはじめとした工場などが進出し、従業員の住宅地として栄えた。人口増加・産業発展に伴い、昭和15年(1940)11月10日に町制を施行し人口10,052人の保谷町となった。昭和20年(1945)から都営住宅の建設がはじまり、人口は徐々に増加した。その後、日本住宅公団(現在の住宅・都市整備公団)によって昭和33年(1958)に柳沢・東伏見団地、昭和34年(1959)には「ひばりが丘団地」が建設されて人口は急増し、東京のベッドタウンとして発展した。昭和35年(1960)1月1日には人口が43,678人になった。
 昭和42年(1967)1月1日に市制を施行し、人口77,169人(24,159世帯)の保谷市となった。東京都で17番目の市だった。しかし昭和46年(1971)以降は人口増加も鈍化し、平成10年(1998)1月1日の人口は99,973人だった。
 平成13年(2001)1月21日に保谷市は田無市と合併して西東京市となった。21世紀最初の合併による市制施行である。西東京市成立後、保谷の名は駅名・町名・企業名の由来(HOYA)として残っている。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

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Re: 古郷田無

書きこみありがとうございました。

田無や保谷についてはもっといろいろ調べられるところがあるのですが、なかなか時間がとれず、先に進んでいない状態です。なにか新しいことがわかるようでしたら、こちらこそご教授いただけるとありがたいです。

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Author:asagiri
日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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