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保谷と田無・4

 寛文3年(1663)に上保谷村・下保谷村・小榑村・土支田村は稲葉美濃守正則の知行所となった。稲葉正則は小田原藩第2代藩主で、後に老中となった人物である。正成系稲葉家宗家3代にあたり、春日局の嫡孫ということもあって幕閣として重用された。その子正往のとき、天和3年(1683)の封地変更によって4ヵ村は小田原藩から離れて幕府直轄地となった。
 稲葉氏の『永代日記』によれば寛文3年(1663)12月5~7日に小榑村を中心に鷹狩が行われ、12日には上保谷村名主の四郎右衛門・弥五右衛門・権右衛門と下保谷村組頭6人に金子1歩(1/4両)、下保谷村と上保谷村の惣百姓中に銀子1枚が与えられている。
 上保谷村は正保元年(1644)には上保谷検地300石余、貞享2年(1685)には上保谷村高1,320石余などと検地帳に記されている。
 青梅街道がつくられて田無宿が成立したのを受け、寛文10年(1670)に谷戸の宮山(現在の田無第二中学校付近)にあった尉殿大権現(現・田無神社)が現在の場所へ移された。保谷の尉殿神社(西東京市住吉町1-21-30)も同じころに尉殿大権現からわかれた。正確な時期は明らかになっておらず、元和8年(1622)、慶長年間(1596~1615)、永正2年(1505)と諸説がある。田無神社と尉殿神社の祭神は夫婦神と位置づけられており、昔から田無と保谷は切っても切れない縁にあった。
 江戸の建設・明暦の大火(1657)後の復興とつづいた石灰御用は近世村落としての田無村の確立に大きな役割を果たしたが、18世紀に入ると成木石灰の衰退や河川による輸送ルートの比重が高くなったため、青梅街道の御用石灰輸送は減少した。
 代わって青梅街道の通行の主流となったのは江戸地廻りからの商売荷物だった。田無村でも17世紀の終わりころには下田孫右衛門を初めとする組頭層が商売荷物宿継問屋を営み、自分のところへ来た荷物を手馬で運ぶことで稼ぎとしたが、荷物の配分をめぐって対立が起きた。宝永4年(1707)には名主長兵衛代半兵衛が「元禄15年(1702)以来私用に駒の口銭を取っている」として3人の問屋らに訴えられた。宝永6年(1709)には今度は半兵衛が問屋孫右衛門方へ来た荷物を留めたとして訴訟になっている。口銭の徴収権ばかりでなく荷物や問屋としての営業圏を奪いあうものだったと窺える。
 8代将軍徳川吉宗が享保の改革を推し進め、年貢収量の拡大には新田開発が有効な手段と認識され、享保7年(1722)に新田開発(武蔵野新田82ヵ村)が命じられた。享保期以前において幕府は既存の田畑を重視する立場から開発を抑制することが多く、必ずしも新田開発に積極的ではなかった。方針を大きく転換したのだが、肥料供給源である秣場を潰して新田を造成するべきか、村々の間で利害が対立した。田無村周辺でも何度か秣場争論があり、評定所で裁許を受けた絵図が田無村と前沢村で保管された。享保8年(1723)には田無村・前沢村・小山村・柳窪村・落合村・神山村・南沢村・門前村・上保谷村・下保谷村・石神村・栗原村の12ヵ村が開発反対の意志を確認しあっている。
 しかし5月に江戸町奉行所が武蔵野台地開発の具体的方針を示すと村や個人から多くの開発願いが出され、享保9年(1724)には開発地の割渡しが行われた。秣場維持を願っていた田無村他12ヵ村も結局開発の側に流れていったようで、同年に開発地の割渡しを受けた。
 元文元年(1736)には大岡越前守が上保谷新田、下保谷新田の検地を行った。元文年間(1736~1740)には代官川崎平右衛門の支配下にあった。和光の『富沢家文書』によれば川越街道沿いの白子宿の助郷として上保谷村600石、下保谷村346石という記録が残っている。江戸時代ごろより多摩地区の他の地域と同様に江戸への農産物の供給地として発展し、特に玉川上水からの分水である千川上水の開通を受けて新田も開発された。しかし谷戸付近は水利に乏しく江戸期に入ってもあまり開墾は進まず、江戸末期まで畑ばかりだったらしい。
 新田が開発されると多くの新田村が成立したが、古村と新田村の間には地境や用水の配分などの問題が発生した。明和6年(1769)には現在のひばりヶ丘地域において下保谷村と田無村の間で争論が起こっている。争論は下保谷村の持添新田と田無村との境で、下保谷村の宇右衛門が所持地の林畑の立木を刈りとった際に田無村の分まで刈ったとして田無村が訴え出たものだが、争論の内済を通じて新たな村境が確認された。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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