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Passport for Pangaea(角川NEXT賞最終選考作品)~第1章・3

 夜の第三台場には人気がなかった。じっとりとした夜気が肌にまとわりつく。今年の梅雨は雨が少ないが、湿度は高い。漆黒の空に浮かぶ星はゆるやかな風に揺れる灯火のように瞬いている。
 風には潮の香りが混じっていた。第三台場はお台場海浜公園から突出した岬で、三方が海に面していた。南の対岸のボードウォークに建ち並ぶマリンハウスや展望デッキの灯は燃えあがる炎のように煌々と輝き、北側では自動車のヘッドライトやテールランプがレインボーブリッジに光の線を描いている。第三台場には外灯がひとつもなく、足下を照らすのは夜空に浮かんだ十三夜の月だけだった。対岸できらめく街の光や水面に映る反射光に取り囲まれ、近くより遠くの方が明るかった。
 石造りの砲台跡がふたつ、南西を向いている。一五〇年ほど前に黒船を迎え撃つためにつくられたらしいが、純香は歴史には興味がなかった。
 一人で砲台跡に座っていた。走ってきたせいか呼吸が乱れ、心臓が強く波打っている。涙は止まっていたが、心は空虚だった。スニーカーの爪先で雑草を弄ぶ。烏龍茶の空き缶が落ちていたので座ったまま蹴飛ばした。空き缶は雑草の生えた地面を音もなく転がっていった。
 戸籍がないなんて。
 自分は普通じゃない。
 十年前、同じような思いに打ちひしがれたことがあった。
 純香は五歳まで京都に住んでいた。黄色いカバンを肩にかけて毎日幼稚園へ通い、クラスにもたくさんの友達がいた。
 しかし卒園を二週間後に控えた日、突然幼稚園を辞めさせられ、東京へ引っ越すことになった。赤いランドセルも用意してあり、友達と一緒に小学校へ行ける日を楽しみにしていた。友達と別れるのが嫌で「引っ越したくないよぉ」とだだをこね、泣きわめいた。
 理由はわからなかった。ただ予兆らしきものはあり、引っ越し直前の三ヶ月間くらいは父親の若山がほとんど家にいなかったし、佳恵が電話口で中国語混じりに怒鳴っている姿をよく見かけるようにもなっていた。
 東雲へ越したときには若山は一緒ではなかった。「お父さんはどうしたの」と訊いたが佳恵は悲しそうな顔をするばかりだった。佳恵を悲しませたくなかったので若山のことは訊かないようにし、父親のいない生活にも慣れようとした。
 変わったのは若山がいなくなったことだけではなかった。それまでは若山純香と名乗っていたが、千葉純香と姓を変えさせられた。また、引っ越してからは幼稚園にも通わせてもらえず、四月になっても小学校へ入学できなかった。純香はてっきり小学校へランドセルを背負っていくようになるものとばかり思っていたが、佳恵からは「もう学校へ行かなくていいのよ」と言われた。やはり理由は教えてもらえなかった。友達はいなくなり、ひとりぼっちの日々を過ごすうちに「自分は普通じゃない」という気持ちが膨らんでいった。アパートの近くの東雲小学校に通う子供たちが楽しそうにしているのを見て羨ましくなり、妬ましくもなって、教科書を入れたことのないランドセルに八つ当たりした。そのたびに佳恵から叱られた。
 そんなときに出会ったのが永野だった。

テーマ : オリジナル小説 - ジャンル : 小説・文学

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Author:asagiri
日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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