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Passport for Pangaea(角川NEXT賞最終選考作品)~第1章・2

 佳恵が水を出しっぱなしにしていたのに気づき、蛇口を閉めた。エプロンで手を拭きながらダイニングへ来る。一歩ごとに床がギシギシと軋んだ。佳恵は純香の向かいの椅子に腰かけると、テーブルの真ん中に置きっぱなしになっていた食塩の小瓶を隅に片づけた。
「なにかあったの」
「じゃああたしのお父さんは誰」
「なによ、いまさら。お父さんは若山忠夫よ。結婚してないからお母さんは未婚の母だけどね。お父さんに会いたくなったの?」
「ううん、そんなことない」
「まったく、なにを疑っているのよ」
 純香は答えなかった。「黙ってちゃわからないでしょ」佳恵は呆れたようにため息をつくと席を立ち、背を向けた。洗い物のつづきをしようと蛇口をひねった。
「今日、区役所へ行ってきたの」
 純香の言葉に佳恵の洗い物をしていた手の動きが止まった。
「なんのために」
「戸籍抄本を取りに行ったの」
「なんでよ」
「パスポートを取りたかったから」
「どうしてパスポートなんて。お母さんに内緒で海外旅行にでも行く気?」
 純香は言葉に詰まったが、すぐに声を荒げた。
「どうでもいいでしょ、そんなこと。問題はパスポートじゃないよ。区役所の窓口で『あなたには戸籍がありません』って言われたんだよ」
 佳恵は返す言葉を失ったらしく、キッチンで立ちつくしていた。沈黙の中、蛇口から流れでる水の音がむなしく響く。
「大体、おかしいじゃない。あたしは小学校も通わなかった。永野のオッチャンと働いて毎日は楽しいけど、でも、普通の人とは違うよ。あたしと同い年の子は制服を着て、中学に通って、たくさんの友達と遊んでる」
「ごめんね。お母さんも悪いと思ってる」
「謝らなくてもいいよ。ただあたしは理由を知りたい。戸籍がないなんて、どういうこと。やっぱりあたしは、お母さんの子供じゃないんでしょ」
「そんなことないわよ。純香はお母さんの娘よ」
「じゃあなんで戸籍がないの! あたしは誰なの?」
 佳恵は顔を歪めたまま黙ってしまった。純香はうっすらと涙を浮かべながら佳恵を睨みつけた。しかし佳恵は口を開きそうになかった。
 椅子を蹴立てて、玄関を飛びだした。スニーカーの踵を踏みつぶしたまま走る。背後で金属製の玄関のドアが重たい音をたてて閉まった。

テーマ : オリジナル小説 - ジャンル : 小説・文学

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asagiri

Author:asagiri
日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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