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氏・姓・名字・苗字・5

 鎌倉時代になると武士の所領が拡大し、大きな武家は全国各地に複数の所領をもった。初期の武士団が勢力を広げていく場合、新しい土地には一族の誰かが入るというケースが普通だった。一族だから氏姓は同じである。そうなると辺り一帯は同じ氏姓の人ばかりになるので、所有地や居住地の地名を名乗った。氏という大きな集団から家父長的な家族が独立して、独自の家名を称えはじめたのである。名字は氏姓と違って天皇から下賜される公的なものではなく、私称の一種で誰でも自由に名乗れた。家人も自分の住む土地を名字として名乗ったり、恩賞として主人から名字を賜ったりもした。
 武家は分割相続が多かったため、庶子が本家以外の所領を相続したら所領の地名を名字として名乗った。開墾によって居住域が増えると新たな開墾地の地名も名字としたので、ますます名字の数は増えた。一方で、各系統の所有地や居住地が変わっても初代の土地の地名を名乗りつづけた。名字は土地とともに世襲されると公的な家の名と認められ、遠くない親戚同士を示す符号になった。広大な領地をもった者を後に大名と呼ぶようになった。
 こうなると本来地名姓だった名字が血統姓の性格を帯び、血統が権威と結びついた。やがて特定の名字を名乗ることが特権と看做され、支配者の許認可権限になった。公文書にも氏姓が出なくなる。
 名字の権威化をはじめたのは鎌倉幕府のようだ。朝廷のシステムの中での権力確立に失敗した平家政権を反面教師として、鎌倉幕府は朝廷からの自立を目指した。手段の1つとして将軍家一門以外は「源」の氏姓ではなく名字をつかう制度を制定した。この制度が模倣されて「特定の名字を名乗れるのは宗家(嫡流)のみ」という流儀が広まった。
 南北朝時代以降、一族の所領は兄弟で分割相続はせず嫡子単独相続が主流となった。嫡子以外の兄弟は嫡子の配下となったため新しい名字を名乗ることが少なくなり、名字の拡大は収まったが、中小名主層に名字を名乗る者が現れて身分偽造や偽系図が横行した。

 江戸時代に入るころには名字より苗字が一般的になった。字義の通り解せば、名字は名田の名に因む字名、苗字は苗裔=末裔の名で子々孫々、家系を同じくする人々の集団となる。苗字は平安時代に子孫の繁栄を期待して吉祥を意味する文字を選んで家名とする風習が生まれのが起源といわれる。ただ、名字と苗字は同義に用いられた。
 近世に入ると苗字の権威化が系統的に制度化される。代表例としては豊臣政権下での羽柴、徳川政権下での松平がある。これらの創始者の旧苗字は有力大名に下賜され、大名家の当主・先代・嫡子だけが名乗れた。江戸時代の文献に「松平薩摩守」とか「松平安芸守」とあったら、島津と浅野の本家の当主である。徳川親藩では御三家などの当主・先代・嫡子は徳川を名乗り、それ以外は松平を名乗ることで格付けをした。
 一方で宗家と同じ苗字を名乗ることで結束を固める方法もつかわれたようで、状況によって様々だった。

テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:asagiri
日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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