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戸籍・3

 造籍と造籍の間に毎年死亡帳が作成された。死亡帳は、すでに京進されている戸籍に載せられていた人についてだけ死亡時に提出するもので、造籍後に生まれた乳幼児については記載しない。『延喜式』勘大帳条に「死亡帳」の名がみえ、『政事要略』巻五十七の雑公文事に「郷戸帳」「浮浪人帳」など20ほどの帳簿類が掲げられているなかに「死亡帳」も掲げられている。
 死亡帳の例としては、天平9年(737)の河内国大税負死亡帳(天理図書館蔵)や天平11年(739)の備中国大税負死亡帳(正倉院蔵)があり、いずれも正倉院文書である。この2点の帳簿はともに公出挙稲(大税)を負ったまま死去した人々の歴名簿である。
 長岡京跡からは延暦9年(790)の死亡帳、秋田城跡からは9世紀前半のものと推測される死亡帳16号文書が出土している。秋田城跡の死亡帳は正倉院文書の死亡帳2例とは書式が異なり、「人名+年齢/年齢区分+死亡年月日」という2段書きの歴名帳および人名の下の2行割書にしている。古代遺跡の木簡などの遺物出土例から推測して、京進文書ではなく地方の役所にとどめ置く公文書の実用的な記載様式とみられる。
 平安時代になると律令制は衰退したため、戸籍によって全人民を把握しようとする体制は放棄され、戸籍制度は事実上消滅した。地域社会の統治は現地赴任の受領(国司筆頭者)へ大幅に権限委譲され、受領に指揮される国衙は公田経営の請負契約などを通じて資本力のある田堵・負名(有力百姓)のみを把握し、彼らによって民衆は支配された。その後、貴族から庶民まで家という拡大家族的な共同体が広範に形成された。支配者が被支配者を把握するときには家が基礎単位となった。
 全国的な安定統治が達成された江戸時代になると幕府や寺社の作成した宗門人別改帳・過去帳が人民の登録簿となった。これらは現代でも家系図作成などの際に参考にされる。
 幕藩体制下で住民把握の基礎となった宗門人別改帳は血縁家族以外に遠縁の者や使用人なども包括した家単位に編纂された。人別帳・宗門改帳・宗旨人別改帳などとも呼ばれる。現存しているものも多く、一般庶民でも家系や歴史を追跡できる史料として貴重なものである。
 江戸幕府がキリスト教の信仰を禁じると、諸国の大名は取り締まりの手段として住民の信仰の状況を調べて台帳化した。古いものでは寛永7年~16年(1630年代)に作成されており、寛文4年(1664)に寺請制度が確立すると全国的なものとなった。
 改帳の作成は町村毎に名主や町年寄が毎年行うこととされていたが、後に数年おきとなった地域もある。家族単位の氏名と年齢、檀徒として属する寺院名などが記載されており、事実上の戸籍として機能していた。婚姻や丁稚奉公などで土地を離れる際には寺請証文を起こし、移転先で新たな改帳へ記載した。手続きをせずに移動(逃散や逃亡)をすると、改帳の記載から漏れて帳外れ(無宿)扱いになり、居住の制約を受けるなどの不利益を被った。これらの人を非人と呼んだ。
 18世紀になると宗教調査の目的も薄れ、人口動態を確認して徴税などのための基礎資料として活用された。享保の改革以降は全国的に調査が取りまとめられ、享保11年(1726)以降は調査期間が6年おきに改められた。

テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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