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戸籍・1

 日本の戸籍制度は国民一人一人を出生関係によって登録する制度で、戸籍は日本国籍を有する者の身分関係を証明する唯一無二の公的証書である。
 古代以来の中国の華北社会では戸と呼ばれる緊密な小家族が成立し、社会の最小単位として機能していた。政権が社会を把握するには個人や族的共同体単位ではなく、戸単位の把握が効果的だった。このために作成された文書が戸籍である。中華王朝や漢族世界が華北から拡大しても、政権の民衆把握は戸籍が基礎とされた。中華文明から政治・文化の影響を受けながら国家を形成した日本などでも戸籍制度は踏襲された。
 戸籍制度は東アジア地域にしか存在しない。近代以降、住民の把握はアングロサクソン系国家では個人単位、大陸系国家では家族登録制度を採用する傾向がある。特にアメリカ合衆国・イギリス・オーストラリアでは戸籍のような国家による家族単位の国民登録制度は存在しない。結婚などの手続きも役所の住民登録で済まされ、多くの州で居住地ではなくても婚姻届は受理される。
 戸籍は家族単位に国民を把握する制度の代表だが、国家に認定された家族集団が東アジア固有の戸の思想を引くものでなければ戸籍制度ではない。家単位ではなく戸単位での登録なので、家の使用人などは戸に含めず、住所が違っても血縁であれば同じ戸とみなす。
 『日本書紀』の欽明元年(540)八月条には『秦人・漢人等、諸蕃より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾を以て、秦伴造となす』とあり、6世紀の中頃には戸籍によってまず渡来系の人々を支配したことが窺われる。
 欽明30年(569)の春正月、吉備の白猪屯倉で年齢が10歳あまりに達しているにもかかわらず籍に漏れているために賦課を免ぜられている者が多かった。屯倉とは全国に設置した直轄地を表し、のちの地方行政組織の先駆けとも考えられる。王辰爾の甥の膽津が遣わされて田部の丁籍を検定するように詔があった。田部とはヤマト王権が直接支配した人民のうち屯倉で耕作した者を指す。丁籍には課役を負担する成年男子のみを記載した。
 4月に膽津は丁をよく調査して「田戸」を編成したので、欽明天皇は功を褒めて白猪史の姓を賜い、田令に任じた(『日本書紀』)。田戸とは田部を編成して丁籍よりも正確な戸籍をつくったものだろう。はじめに丁籍を造っただけで定期的に更新しなかったため、このような不具合が生じたようだ。
 『日本書紀』の敏達3年(574)十月条に『大臣の蘇我馬子を吉備に遣わし、白猪屯倉と田部を増益して田部の名籍を膽津に授けた』とある。名籍は膽津が新しく造ったもので、後の戸籍・計帳に近いものとみられる。これらは渡来系集団や屯倉の田部などの造籍で、すべての人民の戸籍ではない。

テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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