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大宮・2

 慶長8年(1603)2月、家康が征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府が成立すると、次の1町22ヵ村が与野領と呼ばれるようになった。

 旧大宮市域:中村田村・並木村・上小村田
 旧与野市域:与野町・小村田村・上落合村・下落合村・中里村・大戸村・鈴谷村・上峰村
 旧浦和市域:山久保村・本宿村・中島村・町谷村・千駄村・西蓮寺村・道場村・新開村・関村・西堀村・鹿手袋村・田島村

 旧与野市域の円阿弥村と八王子村は植田谷領に入っていた。
 嘉永6年(1853)12月、旗本牧野氏支配下の大戸村名主武井友右衛門ほか2名、中里村年番名主喜多右衛門、中小村田村作兵衛、内野村(旧大宮市)名主吉蔵ら4ヵ村代表は軍用金などの重い負担に耐えかねて「地頭賄金免除願」を地頭役人宛に提出した。牧野氏知行地の4ヵ村では、嘉永3年(1850)以来通常の年貢のほかに過納金がかさんで120両あまりに達し、翌年にこれまで通りの出金はできないので勘弁してほしい旨が記されている。ちなみに米価から計算した金一両の価値は時期によって差がみられ、江戸時代初期で100,000円、中~後期で30,000~50,000円、幕末期には3,000~4,000円である。
 安政2年(1855)3月の大戸村・中小村田村・中里村・内野村4ヵ村百姓の嘆願書によれば、弘化4年(1748)中村庄右衛門が地頭所の用役になったが、同人勤役中の嘉永元年(1848)に305両、嘉永2年(1849)に240両、嘉永3年(1850)100両、嘉永4年(1851)120両、嘉永5年(1852)135両、嘉永6年(1853)201両2分を上納している。6ヵ年分1,101両2分の大金を年貢のほかに取り立てられ、ほかにも身元用金として多額の金子を差し出した。
 安政元年(1854)に異国船が渡来した際、軍用金として55両を高割(田畑の持ち高に比例して賦課徴収する)にして取り立てられ、ほかにも身元用金として80両を上納した。しかし金子が調達できなかったので村役人へ申し出たが、どうしても差し出すようにとのことだった。
 そこで4ヵ村の者が地頭所(牧野氏の江戸屋敷)へ嘆願に出かけたところ、門内から大勢が六尺棒などで打ちかかってきたので、逃げ帰った。その後大戸村の主な百姓5名が打撲され、千住の名倉という骨接ぎに行って治療した。4ヵ村百姓は地頭所用役ならびに村役人の退役と年貢上納金の組頭への直接上納を歎願した。
 アメリカのペリー艦隊が浦賀へ来航した嘉永6~7年(1853~1854)にかけて、江戸湾警備のための多額の軍用金まで取り立てられ、地頭所役人の横暴とあいまって領民の生活は極度に苦しくなった。しかし、領主牧野氏への嘆願も資料の上から見ると目的は果たせなかったようだ。
 古くは鎌倉街道といわれていた与野の本町通りをまっすぐに北進し、八幡通りを横切って100mほど進むと樹齢500年くらいの欅や杉の老大木がそびえる氷川神社の朱色の鳥居が緑の樹間に色鮮やかに表れてくる。安政2年(1855)5月に造られた古い石段を上がって境内を見渡すと、扇子を広げたように末広がりになっている。「新編武蔵風土記稿」の与野町の項によれば、氷川神社は古来与野町と小村田村の鎮守で、社地が鳥居から本殿に向かって扇を開いたような形をしているため「扇の宮」とよばれていたことがわかる。明治9年(1876)の「神社由緒書」によると社地面積は2,593坪、明治23年(1890)の氏戸数は255軒でそのうち244軒が与野町大字与野、11軒が小村田村となっている。
 参道の正面には近年新築された美しい拝殿があり、奥には流れ造り銅板葺きの古色を帯びた本殿がある。本殿からは「宝永6年(1709)5月吉祥日」と墨書された棟札が発見され、与野町の氏子たちが再建した貴重な文化財であることがわかる。建立当初は柿(こけら)葺き(ヒノキ、さわらなどの薄い板で葺く)で重厚な軒積みによって、破風(庇)も流麗な美観を呈していたものと考えられるが、現在の銅板葺きに改造した際、腐朽した軒積みを取り去ったため、当初の美しさがやや失われたようだ。しかし全体的な外観は荘重であり、江戸中期のものとしては端正な建物である。埼玉県内では建立年代が明確な神社建築として注目されている。
 本殿に向かって左側の宝物庫には宝永7年(1710)3月に製作された市内最古の重厚な神輿が保存されている。神輿の屋根裏には共同で奉納した与野町の有力者20名の名前が墨書されている。神輿の製作年代と本殿の棟札の年代がほぼ一致するので、これらの人々が中心となって宝永6年(1709)に氷川神社の社殿を再建したと思われる。上・中・下町の氏子たちとともに盛大な祭礼を催したのだろう。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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