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船連の人々・5

 弘仁5年(815)2月28日に船連湊守が少外記だったことがわかっている。
 外記は律令制において朝廷組織の最高機関・太政官に属した職の一つである。少納言の下に置かれ、中務省の内記が作成した詔勅を校勘し、太政官から天皇に上げる奏文を作成した。太政官の上卿の指示に従って朝廷の儀式・公事の奉行を行い、必要に応じて関係する先例を調査・上申して円滑な遂行に努めた。人事手続の一端も担った。
 職務多忙だったことから外記の地位も上昇し、平安時代中期には五位に昇進する大外記も現れた(大夫外記)。後に大夫外記の筆頭を局務と称するようになる。顕官の1つとして史とともに儒学・文筆に優れた下級官人が任じられ、昇進への足がかりとする役職だった。
 初めは少納言の事務所である少納言局を構成していたが、外記庁(後には外記局)と呼ばれる独自の事務所をもつようになった。外記庁は内裏の建春門の東側に位置して文殿などが併設された。太政官の会議が外記庁の施設を用いて行われる場合があり、これを外記政と呼んだ。
 外記の職務日記として「外記日記」が書かれて後日の参考とされたが、平安時代後期には律令制の弛緩に加え、外記が職務に関する事項を個人の日記に記して外部に秘し、外記の世襲化と公的権威の付与を促したために外記日記は衰退した。憂慮した藤原頼長が外記日記の励行を命じたが失敗した。
 弘仁7年(816)1月7日に従六位下だった船連湊守は外従五位下となり、天長3年(826)1月7日に外従五位下から外正五位下となった。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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