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船氏の人々・1

 推古16年(608)4月、遣隋使の小野妹子が隋使とともに帰国した。隋の正使は鴻濾寺(中国で外国使節の接待や朝貢などをつかさどった役所)の掌客裴世清で、副使は尚書祠部主事遍光高だった。
 朝廷は難波吉士雄成を派遣して難波まで先導させ、中臣宮地連烏摩呂・大河内直糠手・船史王平を接待係とした。一行は8月には小墾田宮(奈良県高市郡明日香村)に着き、歓迎の儀式が行われた。裴世清を海石榴市(奈良県桜井市金屋)に迎えて額田部連比羅夫が挨拶し、阿倍鳥臣・物部依網連抱が先導した。

 推古17年(609)4月に、筑紫大宰から百済の僧の道欣・恵彌など85人が肥後国芦北津(熊本県葦北郡芦北町)に停泊したと通報があった。難波吉士徳摩呂・船史龍は派遣されて問い質すと「百済王の命により呉国へ派遣されたが内乱があって入国できず、帰国の途中で暴風にあって漂流した」とのことだった。推古天皇は5月に徳摩呂・龍を添えて百済へ送った。
 龍は王辰爾の孫で、王後首の兄弟と見られている。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:asagiri
日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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