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船氏・2

 船氏は奈良朝以前には大和川の大和・河内の国境のあたりで船のことをつかさどり、税関の職務をしていた。大和川は古代より大和から難波へと抜ける地点に位置していたため、交通の要所として栄えた。
 『日本後紀』の延暦18年(799)の菅野真道の上表文によれば、葛井・船・津の3氏の墓地が河内国丹比郡野中寺(大阪府羽曳野市野々上)の南にあり、寺山と呼ばれていたという。世代を重ねて子孫が墓を守ってきたが、このころ樵が市ををつくって樹を伐採するようになった。真道は「先祖の魂の帰るところがなくなってしまうので禁じてほしい」と訴え、天皇に許されている。
 寺山の一角に善正寺跡(大阪府羽曳野市軽里2丁目)があるが、3氏の氏寺については意見がわかれる。葛井氏=藤井寺(大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21)に異論はない。船氏の氏寺を野中寺にあてる考えは有力視されてきたが、最近では所在地や調査成果から在地氏族の野々上連や野中連をあてる考えも示されている。善正寺跡を船氏や津氏の氏寺とする意見もある。
 伝承では野中寺は聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。「上之太子」叡福寺(大阪府南河内郡太子町太子2146)、「下之太子」大聖勝軍寺(大阪府八尾市太子堂3-3-16)とともに三太子の一つに数えられ、「中之太子」と呼ばれている。境内に残る礎石から飛鳥時代~奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことが明らかになっている。同族の白猪氏(のち葛井氏と改姓)は河内国丹治郡高鷲(藤井寺付近)、津氏はその西1.2kmの大津神社(大阪府羽曳野市高鷲)付近を本拠地としていた。野中寺はこれらの2地点から南1.3kmに位置する。船氏の氏神は国分神社(大阪府柏原市国分市場1-6-35)とされている。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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