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早舩氏・3

【寿徳寺】 東京都北区滝野川4-22-2
 真言宗豊山派。南照山観音院。城北地域の江戸西国三十三番観音札所の第12番目の巡礼地にあたり、近江国岩間寺の霊験と同じ功徳をもつとして多くの人々が訪れている。
 本尊である谷津子育観音は木造の観音菩薩坐像である。谷津観音と通称され、江戸時代の地誌には子安観音とも、聖観音とも記されている。
 像は蓮華座に座り、両手で乳児を膝の上に抱えている姿で、指を阿弥陀如来と同じ弥陀の定印に結んでいる。現在は秘仏となっていて定期的な開帳は行っていない。
 境内には切株から芽吹いている銀杏があり、昔は飛鳥山付近からも眺められたほどの巨木だった。樹の皮をはいで本尊に供え、祈願した後に煎じて飲むと母乳が良く出るという信仰もある。
 こうした信仰は昭和初期にも盛んだったようで、正岡子規門下の俳人河東碧梧桐の俳句に「秋立つや子安詣の花の束」という句がある。寺野守水老も「わが妹子と子安に詣る小春かな」(小林鶯里編『東京を歌へる』昭和5年(1930))という句を詠んでいる。
 寿徳寺は新撰組局長だった近藤勇の菩提寺で、境内に石碑と本人肖像石板が建てられている。近藤勇は慶応4年(1868)4月25日に板橋刑場(東京都板橋区板橋および北区滝野川付近)で斬首された。首は板橋および京都でさらされた後に行方不明となり、胴体は板橋の刑場付近に埋められた。JR板橋駅東口の境外墓地に埋葬されたと考えられるが、宮川勇五郎(後の近藤勇五郎、勇の婿養子)が同志とともに板橋の刑場に行き、密かに遺体を掘り起こして龍源寺(東京都三鷹市大沢6-3-11)に埋葬したとも言われている。
 石神井川には観音橋という名の橋がかかり、寿徳寺へは坂を登ることになる。この道は江戸時代には大門通とも呼ばれていた。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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