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成東の早舩

 上総国武射郡(千葉県山武市)には早船という地名がある。大和武尊が順風にあい、快適に船を走らせて上陸した。山上に登って辺りを眺めたので社を建て尊を祭り、早船を馳せたところから早帆神社と呼んだ。やがて転じて早尾神社と呼ぶようになったという伝説も残されている。早船という地名は日本中でここにしかないようだ。
 早船城(千葉県山武市早船字城の台)は富田城(千葉県山武市富田字大城門・宮城・城之口)の北東1.5kmほどのところにある。城主は不明で、築城時期も明確になっていない。比高20mほどの東西に細長い台地上にあった。国道126号線の方から見ると月蔵寺の西側の裏山が城址にあたる。さらに西に向かいあった台地に早尾神社がある。城址は山林化しているが、北側には台地上に上がる道もある。しかし城の遺構がどこにあるのかはわからない。台地の頂上付近は比較的まとまった平坦地になっており、ここから台地下にかけて何段かの削平地があるが、後世の畑の跡のように思われる。北側の部分がかなり削られているが、城そのものも削られてしまっている可能性もある。
 早船城の内城は、早船城の台地続きの東側、字不動台にあった。かつては数段の削平された郭があったというが、耕地整理によって現在は消滅した。この城も城主・築城時期ともに不明である。
 慶長16年(1611)に柴原村と早船村で用水争いがあり、取り決めをしている。江戸時代には用水と共有地をめぐる争いが絶えなかったが、これは山武市に残る用水取り決めの最も古いものの一つである。柴原村を流れる木戸川支流の用水権を認める取り決めを早船村の善左衛門以下5人が柴原村の百姓中にあてたものである。善左衛門は早船の草分けの平山善左衛門と思われる。
 慶長19年(1614)1月に徳川家康は東金辺(千葉県東金市)で鷹狩りをしたが、成東村(山武市成東)付近で日が暮れたため、入口に大きな松が植えられていた家に入った。この家の夫婦は突然の家康の訪問に驚き、急な宿泊に戸惑ったが、一生懸命に世話をした。翌朝、家康は夫婦の献身的な奉仕に感謝し、土地を与える旨を告げたが、夫婦は「畏れ多い」と辞退した。そこで家康は夫婦に「木の本」という名字を与えて帯刀も許し、家の入口前の松の木の隣に1本の榎を植えて礼と記念にしたといわれる。のちに入口の松は「明し松」と称された。夜明け前に家康は発ち、九十九里方面に向かった。早船(成東)で紺碧の東の空からこうこうと昇る朝日を見た家康は感嘆し、この地に記念として1本の松を植えたという。のちにこの松は「日の出の松」と呼ばれた。松は枯死したため伐採され、現在、松があった地には人家が建ち並んでいる。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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