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奥州の佐藤氏・2

 基治の居城だった大鳥城(福島県福島市飯坂町舘ノ山)は別名鳳城・鵬城・丸山城ともいい、寛治年間(1087~1094)に佐藤季春が築いたとも、保元2年(1157)に佐藤基治が築いたともいわれている。『吾妻鏡』によれば基治とされているが、季春の代にはすでに築かれていたと考えられている。基治が築いた際に鶴を城中に埋めて守護神としたため、大鳥城と名付けたという伝説がある。
 絵図面によれば大鳥城は平泉文化を思わせる堀と池をたくさん用いたつくりで、柳之御所(岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所)・毛越寺(岩手県西磐井郡平泉町)と共通点が多い。
 南には小川、北には赤川、東には摺上川と3つの川が流れており、大鳥城の堀の役目を果たしていた。山頂部には主郭、西側には櫓跡と呼ばれる郭が存在する。山頂部は平成7年(1995)の発掘調査で14世紀の輸入陶磁器などが出土したため、後世の造営と考えられる。
 現在主郭部である一の平周辺は舘ノ山公園となっており、大鳥神社の周囲には土塁・空堀が残っている。二の平は西方の平場で矢庫の跡と伝えられ、西側が搦手とされている。三の平は現在飯坂球場や大鳥中学校の敷地となっている東山麓部分で、基治をはじめ佐藤一族の館があったといわれており、赤舘という地名が残っている。さらに東側には大門の地名が残っており、大鳥城への大手門があったと推定される。現在は温泉集会所、大門の湯が存在する。昔は明瞭な土塁が残っていたという。
 信夫庄司の遺跡については、『観蹟聞老志』に「佐藤庄司の館。上坂村の西、天王寺中野村の間にあり、大鳥城と称し、郷人これを丸山城と云う。寺あり、瑠璃山吉祥院医王寺と号し、禅宗を修す。庄司父子の古墓はここにあり。或は云う、庄司の古墓は、出羽白岩田間にあり。寺ありて弥勒寺と号し後、山を丸山城と云う」とみえる。
 治承4年(1180)、奥州にいた義経が挙兵した源頼朝の陣に赴く際、藤原秀衡の命で基治の子の継信・忠信が義経に随行し、義経の郎党として平氏追討軍に加わった。『源平盛衰記』では二人とも義経四天王に数えられ、継信は義経の乳母子とされている。
 福島県白河市表郷中野庄司戻には「庄司戻しの桜」がある。伝承によると、基治は義経に従って鎌倉に赴く二人の子どもを見送り、別れる際に「二人の子どもが忠節を全うするなら根付け。そうでなければ枯れよ」と地面に杖を挿すと、立派に成長して見事な桜が咲いたという。現在は案内板のみが残っている。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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