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伊藤氏のルーツ・10

 福島県郡山市日和田町朝日坦に安積左衛門夫妻の墓と伝えられるものが残されている。しかし日和田郷土史会の石田善男氏によれば祐長夫妻の墓かは疑問とされている。
 中地村(福島県郡山市湖南町中野)の小倉山館(鶴島城)は伊藤氏代々の居城で、天正のころ(1573~1593)に薩摩守盛恒が居住し、そのほとりの多くを領した。伝説によれば、盛恒は天正17年(1589)に横澤彦三郎と戦って敗れ、福良村(福島県郡山市湖南町)に退き、再び戦って討死にしたという。
 祐長の諸子は、薩摩七郎左衛門尉祐能・薩摩八郎左衛門尉祐氏・薩摩九郎左衛門尉祐朝・薩摩十郎左衛門尉祐廣で、子孫も「薩摩」を冠した名乗りで『吾妻鏡』に見える。
 祐長の嫡流は以下の通りである。

  初代 安積六郎祐長     祐経の二男 建長6年(1254)没 享年62才
  2代 薩摩七郎祐能     祐長の長男 文永3年(1266)死亡
  3代 薩摩四郎祐家     祐能の長男
  4代 安積新左衛門尉祐宗  祐家の嫡男
  5代 安積新左衛門尉祐政  祐宗の長男
  6代 安積摂津守祐朝    祐政の養子
  7代 安積新左衛門尉祐治  祐朝の嫡男 応永13年(1406)6月死亡
  8代 安積新左衛門尉祐信  祐治の嫡男
  9代 安積備前守祐時    祐信の長男
  10代 安積備前氏祐     祐時の嫡男 文明17年(1485)9月死亡
  11代 安積摂津宗祐     氏祐の嫡男 永正元年(1504)9月死亡
  12代 安積新左衛門祐里   宗祐の長男 永正2年(1505)9月討死 享年25才
  13代 安積紀伊祐重     祐里の長男 天文21年(1552)死亡 享年53才
  14代 伊東肥前重信     祐重の嫡男 天正16年(1588)7月討死

 祐長の子孫は陸奥国の安積伊東氏のほか、伊勢の長野工藤氏や信濃坂木(長野県埴科郡坂城町坂城)の工藤氏を残した。江戸時代に備中岡田一万石の大名だった岡田藩伊東家をはじめ、地方の旧家にも多い。この一族は後世大いに栄え、尾張・伊勢・甲斐・会津・丹波・丹後・紀伊・讃岐・筑前・豊前・肥後など、日本全国に広まっていった。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:asagiri
日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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