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伊藤氏のルーツ・4

 祐隆・祐継が相次いで死去すると、河津祐親(後に伊東祐親)と祐継の遺児である工藤祐経は伊東庄の所領を巡り争った。『曽我物語』によると、伊東領主伊東祐親(河津二郎)は息子祐通(河津三郎)を伴って狩にでかけた。ところが狩の帰りに、工藤祐経の家来が河津二郎祐親を目掛けて放った矢が、息子の三郎に当たって三郎は死んでしまった。以前から伊東庄の所領をめぐって伊東祐親と工藤祐経との骨肉の争いが起こっていた。
 祐親は悲嘆にくれる三郎の妻を幼い子供だった十郎・五郎ともども相模国の曾我家へ再婚させた。父が殺害された当時、十郎は5歳、五郎は3歳だった。その後、河津二郎祐親は頼朝に討たれたが、工藤祐経は頼朝の重臣として出世していった。十郎五郎の兄弟は母が再嫁した曾我祐信の姓をとり、曾我姓で呼ばれるようになった。曾我十郎時政(祐成:一萬)と曾我五郎時到(箱王)である。
 子供たちは父の仇を討とうと、18年待ちつづけた。
 建久4年(1193)、源頼朝は武力を見せつけるため工藤祐経を総奉行として富士の裾野で大巻狩を催した。巻狩とは狩りのことだが、軍事訓練の意味合いが強かった。最後の狩場として頼朝は白糸の滝付近に陣を構え、祐経の陣は音止の滝の東方に構えていた。
 その夜の寝静まったところを曾我十郎・五郎の兄弟が闇に紛れて祐経を襲った。ついに仇討ちを成し遂げたのである。
 兄弟は駆けつけた祐経の部下たちと渡りあったが、十郎は頼朝の家臣仁田四郎忠常に斬り殺された。五郎は事情釈明のため頼朝の御前目指して走り寄ろうとしたが大友能直に制せられ、小舎人五郎丸に捕らえられた。
 次の朝、頼朝の前に引きだされた五郎は、小さいときからの苦心や仇討ちの理由を述べ、「いまはただ死を給え」と願いでた。頼朝は兄弟の健気な心に感動し五郎を許そうとした。しかし、祐経の子、9歳の犬房丸は父親を殺された怒りのあまりに五郎の顔を扇子で叩いた。頼朝は「武士として縛られている者を殴るとは何事か」と犬房丸に信濃国伊那への流刑を命じた。犬房丸は泣きながら「父の仇、五郎の身柄を頂戴したい」と願ったので頼朝はやむなく五郎を犬房丸に渡してやった。
 翌日、犬房丸の命令で五郎は20歳の若さで斬首された。首切り役人はわざと刃を潰した刀を使ったため、五郎の首は斬られるのではなく引きちぎられることになった。塗炭の苦しみは目をそむけんばかりに異常なものだった。後に首切り役人は五郎の亡霊に大いに悩まされることになったと伝えられている。
 「曾我兄弟の仇討ち事件」は赤穂浪士・荒木又右衛門の鍵屋の辻の仇討ち(伊賀越えの仇討ち)とともに天下三大仇討ちといわれる。この事件は巻狩に集まった多くの東国武士に鮮烈な印象を与え、やがて「曽我物語」としてまとめられた。伊豆の流人だった頼朝の挙兵から鎌倉政権樹立に至る歴史とないまぜに、事件の経過と兄弟の心情を描いている。兄弟の不運な生涯と悲劇的な最期が民衆の共感を呼び、文学や芸能の分野でも盛んに取上げられ、次第に脚色されてきた。能・浄瑠璃・歌舞伎などで名高い。
 伊那に流された犬房丸は以前から小出二吉郷(長野県伊那市西春近)に住み着いていた工藤氏(小出氏)に保護された。犬房丸は工藤祐時と名乗って伊那はるちかりょう春近領に領地をもらい、善政を行ったといわれている。
 春近領とは鎌倉幕府の有力在庁が「春近」という架空名義で設立した幕府管理の所領のことで、信濃国・近江国・美濃国・上野国・越前国・肥後国などに分布した。信濃国には近府春近領(松本市)・伊那春近領(伊那市)・奥春近領(長野市)の3ヵ所があった。伊那春近領は現在の伊那市から下伊那郡松川町に及ぶ天竜川沿いの広大な地域だった。
 祐時は地域民から厚く信頼を受け、開田などの農業振興に尽くした。後に鎌倉幕府執権北条泰時に流刑を許された。祐時は建久9年(1198)に日向国の地頭職を与えられ、成長すると伊東を名乗っている。建長4年(1252)6月17日の項に『大和守従五位上藤原朝臣祐時卒す』とあり、以後『吾妻鏡』にこの名は出てこない。

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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