FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

船連の人々・7

 『三代実録』によれば元慶5年(881)4月28日に民部史生で大初位下(大初位は従八位の次の位)だった船連福男が紀伊史生となっている。
 史生は個々の官司において下働きや事務などを行う下級官人で、文書事務を行った。もともとは太政官・神祇官や八省および主税寮・主計寮など一部の官司にしか置かれていなかったが、行政の煩雑化に伴って様々な官司へ増置された。
 民部省は律令制下の八省の一つで、財政・租税一般を管轄し諸国の戸口・田畑・山川・道路・租税を司った。財政官庁として他に大蔵省があったが租税関係はこちらが取り扱ったため大蔵省よりも重視された。
 しかし貞観4年(862)7月27日付宣旨(『類聚符宣抄』巻六)により、諸国から中央への申請はすべて太政官で決定し、太政官符にて諸国へ直接通達された(官物免除は従来通り民部省符をあわせて発給)。その規定が『貞観式』以後も継承されたため、民部省は地方に関する事務処理のみを扱うようになった。
 特に田畑関係に関しては、平安時代中期以降の荘園制度の発展による地券の諸問題を扱う重要な役割を担った。太政官が発給する官符及び民部省が発給する省符による許可を得た荘園は官省符荘と称された。
 この流れで船連福男は民部史生から紀伊史生となって紀伊国の地券関連の事務を扱うようになったのではないだろうか。鷺宮の早舩家に伝わっている話によると「祖先は大和の豪族・舟氏に発していて、いつのときか熊野に渡った」ということであるから、もしかすると船連福男かその一族が紀伊国へ下向し、一族の後裔が早舩氏を名乗るようになったのかもしれない。
スポンサーサイト

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術



プロフィール

asagiri

Author:asagiri
日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。