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東京都板橋区の四葉・赤塚・徳丸・9

 23区内で最後まで残った水田地帯も、付近の住宅化による家庭排水の流入等により耕作に不適な状況となってきた。昭和31年(1956)に日本住宅公団(後の独立行政法人都市再生機構)が大規模団地・徳丸ヶ原ニュータウン(後の高島平団地)を計画し、土地区画整理事業が施行された。従前の居住者が僅少だったことから順調に進み、また都営地下鉄6号線(後の都営三田線)が建設された。昭和44年(1969)には高島秋帆にちなんで一帯を高島平と改称し、現在に至る。結果、地名としての徳丸ヶ原は失われた。現在板橋区内の住所表記には「徳丸ヶ原」は存在しないが、新河岸川南岸に板橋区立徳丸ヶ原公園がある。
 『板橋史談』40・41号によると、昭和49年(1974)現在、榎本善松邸前の小塚に釈迦如来の石仏があり、釈迦塚と呼ばれている場所がある。耕地化されたがこの岡は残った。釈迦堂があったかもしれないという。
 『武州板橋史』第1編によれば、四ツ葉村は貧しいので赤塚村に年貢など代替の点で依存を余儀なくされたため後年「八幡社」は赤塚村大堂へ移転されていった、という伝承が残っているという。
 『板橋史談』160号によると、四葉の区画整理は昭和38年(1963)ごろから村内で計画された。計画を実行するためには莫大な資金が必要となる。村の土地の半分を公団に買い上げてもらい、基金とするとともに、高島平造営の基盤とした。それでも資金が足らず、村民から私有地の1/3を提供してもらってさらにつづけようとしたが、話はまとまらず実現しなかった。そうこうしているうちに東京都で区画整理実施が決まり、昭和58年(1983)8月10日に着手されたという。
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術



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asagiri

Author:asagiri
日本人の名前のルーツを探ることで日本の歴史を違う角度から見ることができます。家系図づくりをしている人・一族のルーツの探し方がわからない人・祖先の古いお墓がある人はもちろん、自分の名字・姓・氏の由来を知りたい人、家紋や戸籍謄本(除籍謄本)に興味がある人、先祖が武士か農民か知りたい人、珍名・奇名など珍しい苗字を探している人、明治時代好きの人も読んでみてくださいね。家族や親戚との話のネタにもなります。他人の名字でも起源を調べると面白いことがたくさん出てきますよ。調べ尽くしたら苗字研究家に転職できるかも? 苗字の歴史って楽しいです。異説・新情報がありましたら教えてください。

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